望まれない風力発電の建設はやめようよ

大型風力発電は必ずしも環境によくないというのはちょっと考えれば分かることだ。 デンマークやドイツの田園・丘陵地帯で大きな風車がぐんぐん回っている光景を見ると、心がおどる。羽が一回回るごとに、すこしずつ環境が良くなっていく。 そんな気がする。 同じ思いを持つ人たちが日本にも風車を導入しようと努力してきた。 残念なことに、そういう風車の建設に、地元から反対の声が上がりはじめている。長野県や島根県がその代表例だ。 日本にはヨーロッパのように偏西風が年中吹くような場所はなく、比較的風が安定して吹いて大型の風車を設置できるのは、山の上になってしまう。 風車を建設するために、山を切り開いて道路を造り、資材を輸送する必要がある。風車から送電線まで電線をひく必要がある。 風車の周りはある程度開けた場所である必要があるため、木々を伐採する。 おまけに、風車の建設候補地は、美しい景観で有名な場所だし、風の通り道だから渡り鳥の渡りのコースにぶつかっているケースもある。 ヨーロッパと日本の事情がもっとも異なるのは、風車の建設を決定し、風車から収入を得るのが地元の人なのか、都会の企業なのかの違いである。 地元民であれば、風車を建てることの是非について、景観や自然環境のことも考慮して決定するだろう。 けれども、都会の企業はそんなことまったく考えない。 はっきり言うと、儲かればいいだけだ。 「風車は環境にいいんだから、それでもうかっても別に悪いことをしているわけではない。むしろ地球環境のためにやっているんだ」 という、環境免罪符を振りかざす。 環境問題って、エネルギー問題や温暖化が解決できればそれで十分じゃない。 「環境十全性」という言葉があって、一つの環境問題を解決するために、別の環境問題のリスクをあげることは避けなければならないという考えだ。 地元から反対の声が上がっている地域での大型風車の推進者には、原子力発電を「温暖化にいいから」としゃにむに進めようとしている人たちと同じ香りを感じる。 風車も、誰がどのように建てるかによって、評価が変わってくる。 我々もそういう目できっちりと検討しなければならない。 風力発電の功罪探る伊那でシンポ 風力発電をやめさせる会が入笠山周辺で勉強会 環境の世紀:風力発電三者三様