読者を意識して書くことは迎合じゃない

環境問題の杞憂」という本を読んでいて、とても不快な気分になった。 なんだか、環境問題の重要性を否定しよう否定しようというベクトリに読めたからです。 しかし、この本が誰を対象に書かれているのかを考えると、本書のスタンスが納得できました。 本書は、環境問題の不安をとかくあおりがちなジャーナリストに釘を刺すとともに、いたずらに怖がってしまう一般の人にむけて書かれたものでした。 「分かってないジャーナリスト」と「むやみに怖がる大衆」というのがこの本を買うのかどうかはよく分からないのですが、まあ、そういう人に対しては、やっぱりパニックにはなってほしくないのでこれぐらいの冷静さは必要なのかもしれません。 (この本はまだ読んでいる途中なので評価はまた別でやります) 他山の石ではないですが、自分にむけて書かれていない本というのはやっぱり読みにくいものです。 ブログでも同じですが、ターゲットをちゃんと絞って文章を書かないと、せっかく書いても「青年の主張」に終わってしまうのでしょうね。 なんだか、反省しきりです。 来週金曜日、十三でイベントをやりますが、この呼びかけ文を最近書いています。 (http://ymo.blog.shinobi.jp/) そこでもやっぱり、誰にむけて書いているのか、分からなくなってしまいました。 てんつくマンや中村さんのことを知っている人だと、「てんつくマンと中村さんが来るよ」というだけで他の紹介はほとんどいらないでしょう。 二人を知らない人に、「来たい」と思わせるためにはなにが必要なんでしょうか。 こういう問いを持ったのは、「伝わる・揺さぶる!文章を書く」を読んだことがきっかけでした。 今まで、対象にむけて分かりやすく書く、内容を修正することは、どこか「迎合」という印象があったのですが、そもそも伝わらないと、自分の考えを実現することすらできないんですね。 なんだかすごく納得。 さて、そういう意味で、対象は誰なのか、改めて考えてみて分かったことは、今僕たちが伝えたいのは、「今まで興味があったけど、こういう会合に来たことがない人」なんだってことです。 彼らにどういう言葉を伝えれば来てくれるのか、どんな工夫が考えられるのでしょう。