父のいない正月

今年は相方に無理を言って福井の実家で正月を迎えた。 けれども、実家には母だけで、父は不在だった。仕事で新潟に滞在していたのである。 父の仕事は、食品関係だ。 最近はスーパーが1月1日から開いていることが多く、福井に帰るだけの休みが取れなかった。 僕がこどもの頃に毎年正月を迎えるたびに望んでいたことというのは、お年玉をもらったらすぐにでも買い物に出かけたいということだった。 せっかくの休みなのに、何で家にいなきゃいけないんだ、どこかに遊びに行きたい、とも思っていた。 けれども、当時は正月に店なんてどこも開いておらず、3日ぐらいになってようやく開く店があるという程度だった。 21世紀の今、僕の望みが実現して、正月出かけると、たいていの店は開いている。 けれど、一緒に行くべき家族は家にいない。 正月のスーパーに行ってみると、おどろくことに、おそうざいもちゃんと販売されている。 パートのおばちゃんが、奥でおそうざいを作っていたり、魚屋さんが魚をさばいていたりしている。 普段よりは品目は少ないのかもしれないが、普段と大して変わらない営業状態だ。 スーパーが開いているということは、父がそうであるように、客の目に触れない場所で、納入業者もまた製品の製造や納品などでゆっくりと休みが取れないことを意味する。 元日に家にいない大人というのは、消防士や警察官、警備員、あるいはお寺や神社関係などの特別な仕事でうちは関係ないと思っていたのに、いつのまにか、うちにも影響が出ている。 考えてみれば、僕が正月したいと思っていたのは、あくまでも「家族ででかける」ことであって、一人で出かけることではないし、家族が一緒にいれないのであれば、そもそも店なんて行かなくてもよかった。 現状を見てみると、僕のこどもの頃の表面的な願いはかなえられているが、本当に願っていたことは、かなえられなくなっている。 僕たちの人生で、同じようなことはよくおこる。 「お金持ちになりたい」ことを望んでいるように思っていても、実はそれは、「お金があれば、家族と一緒の時間をすごすゆとりが得られるはずだ」と思っていたのかもしれない。 本当は、家族と過ごす時間を得るためなら、お金はなくても良かったはずだ。 現実には、お金を得るために、逆に家族との時間を極限まで削らなくてはならないはめになっている人が多い。 何か望みを持ったら、本当にそれを望んでいるのか、それが実現したらなにがいいのか、一度深く掘り下げて考えてみるべきだ。 最近話題の、プラスチックのリサイクルもそうだ。 目先の問題としてプラスチックが燃やされているかどうかは、本当のところはどうでもいい。 僕らが今プラスチックを分別することで、この世界が持続可能な社会に向かうのかどうかこそが大事な点だ。 「ごみ問題が問題なんだって」と聞くと、すぐに「じゃあリサイクル!」と飛びついてはいけない。ごみ問題がどうやったら解決できるのかをよく考えて、今やれることの中でリサイクルが一番よい方法ならそれを進めればいい。 ことわざに、急がば回れという言葉がある。 本当の目的を達成するには、少し遠く見えるかもしれないけど、解決っぽいことに飛びつくのではなく、まずは本当の目的につながる道を見つけることが大事だということだ。 さてさて、昨今の正月営業の問題はどうすれば良いのだろうか。 一度営業を始めてしまった店が、自主的に営業をやめることは難しい。 僕らも初売りが正月しかやっていないなら、いくしかない(笑)。 いっそ、政府が規制したらどうかと思うのだが、どうだろうか。 正月とお盆はみんなで休む週。 ゴールデンウィークは、みんなが遊ぶ週。 なんて、決めてしまえばすっきりする気がする。