食と健康と環境の講座で講演してきました

2009年1月14日、大阪市の生き生き地球館で開催された、食と健康と環境の講座で話してきました。 参加者は定員40名のところ、40名ちょっとでした。 この講座は市の委託を受けてNPO法人 シニア自然大学さんが開催している6回ものの連続講座です。 昨年も別シリーズで講演したのですが、やはり定員オーバーでした。 いろいろと仕事を頼まれることがありますが、やはり人数が多いと張り合いがありますね。 僕がいっしょうけんめい準備をする分、告知に力を入れてくれているなという感じです。 正直、どういう類の講演でも、僕の場合には最低でも一日、普通は三日ぐらい準備の時間が必要になります。 せっかく時間をかけたのに、一桁ではやはり寂しいです。 (もちろん、もともとそういう少人数講座なら別です) この講座の場合には、告知の努力と他の講師の方がこれまでいい講座を開催してきたという実績があって多くの参加者が集まるという好循環がはたらいているようです。 僕にとっても、終わってから話しに来てくれる方とのいい出会いが前回、今回とありました。 特に今回は、いつも野菜を買っている宝塚の西谷地区というエリアで食育をやっている方が話しに来てくれました。 これからどういう展開になるか、すごく楽しみです。 今回のテーマは、「スローライフの家庭菜園の経済性について」と、ちょっと微妙なタイトルです。 行き来しているうちに、変な風に変わってしまったのかも。ちょっと日本語になってないですよね。 でもまあ、なんとなく「労力の割に収穫が少なくて、なんか損なんじゃないの?」と思う人もいるかも知れない家庭菜園に経済学の面から光を当てようという講座です。 家庭菜園に費やす時間というものは、どういう意味があるのか。 これを単なる労働ととるか、余暇の一種ととるかで評価は全然変わります。 また、余暇ととるにしても、普段やっている余暇を「やる必要がなくなった」のであれば、その余暇から得られた便益や余暇に必要だった費用は不要になります。 もう一つの意味としては、家庭菜園に取り組むことによって、生き物の時間を実感する(だじゃれちゃうで)ことができるという効果があります。 生命にはそれぞれの時間があり、それを大切にすることで得られるものに気づくこと、そして生命が次世代に命をつないでいくすがた。 そういうものを知り、大切に思うことが「持続可能性」というわかりにくい言葉を具体化してくれます。 今回話せなかった話しとして、家庭菜園と生ごみの関係もあります。 自分で育てる野菜のために、自分で調理した食べ物の残りを使ってたい肥を作る。 目の前で野菜くずが土に帰り、新たな実りを助け、我々の口に入る。 そうなると、買ってくる食材にも目がいくようになります。 そこから、また目が広がっていきます。 実はこの話、紹介したいなあと思いつつ、時間切れになったので割愛してしまいました。 まあ、準備したことをすべてはなせるというのはなかなかないことなので、しょうがないですね。