遺伝子組み換え作物を許容する条件

先日、ねじまき少女 上・下 (ハヤカワ文庫SF)というSFを読んだ。 原油が枯渇した世界のタイを舞台に繰り広げられる物語。 エコSFという形で紹介がされているけれど、炭素経済の話なら、池上永一の『シャングリ・ラ』で十分だろう。 (あちらはあちらで支離滅裂だけど) 実際、無駄なエネルギー消費を取り締まる環境省の職員、通称白シャツ隊の設定はうまく生きているとは思えない。 この小説は「エコ」という観点から考えるなら、遺伝子組み換え作物の方にもう少し関心が向くべきだろう。 カロリー企業と呼ばれる白人達が世界の作物の種子を支配しようとして、(おそらく)世界で唯一種子バンクを自前で保持しているタイの種子バンクを奪おうとするアンダーソンが物語の中心になる。 そして、タイトルにもなっている「ねじまき少女」のエミコが物語を動かす。 SFとしてはなかなかおもしろいできで、もっと詳しい設定を読みたいなと感じる。 解説を読むと、同じ世界設定で何本か小説が出ているようなので、そういうのを読むことで分かってくるのかもしれない。 世界観に強く関心を持つ人には、やや消化不良な感じを受けるかもしれない。 それはさておき、アンダーソンの所属するアグリジェン社をはじめとして2−3社が世界のカロリー(食料)を支配する世界というのがこれから起こりそうな世の中にあまりにも近いと感じた。 彼らのやっていることは、ターミネータ遺伝子を組み込んで、種子を採ることができない種子を世界に販売するという戦略だ。 現に世界でも同じような技術は存在している。 そしてさらにたちが悪いのは、契約の存在。 遺伝子組み換え作物から種子をとって栽培したら、損害賠償の対象になるのだそうだ。 数年前に話題になったのは、こぼれ種が自分の畑に知らない間に入り込み、それが広がった農家の話。 勝手に種がこぼれてきて、広がったのに、それも損害賠償請求の対象になってしまう。 小説の世界のように技術が進歩すれば、そういう契約で農家を縛ることはないのかもしれないが、農家や地域が自分でいい種を採り、育てていくということができない世の中というのはなんだか怖い。 大企業が培養した種子しか使えない世の中だとすれば、ぼくらが毎日食べている食べ物が大企業のきまぐれに支配されてしまう。 生存権。 人が健康で文化的な生活を営む権利という、人権の根本概念だ。 そして、今、その考え方が少しずつ他の生物にも広がろうとしている時代に、植物だけは自然の生き物として子孫を残すことすら許されなくなってしまう。 遺伝子組み換え作物が、(ものすごい低い確率だと思うが)仮に安全だと証明されても、作物が子孫を残す権利を奪うことは許されない行為だ。 農水省は、遺伝子組換えセイヨウナタネ、トウモロコシ及びワタの第一種使用等に関する承認を検討するためのパブリックコメントを先日実施した。 実際にそれが普及するのかどうかは別にしても、僕は安全性は別にして、次の条件が満たされない限り、遺伝子組み換え作物は許容すべきではないと考える。

  1. ターミネータ遺伝子が組み込まれていないこと
  2. 自家採取の権利を制限しないこと
  3. 自家採取した種や他と交配した遺伝子であっても、該当する作物が自然界に悪影響を与えた場合、20年程度の期間は、種子を開発・販売した企業が損害賠償の責任を負うこと

厳しいと考える人もいるけれど、このぐらいしなければ、ぼくらの周りの植物がすべて人工的なものに置き換わってしまう。