フェアトレードは人のためならず(改稿)

スロービジネススクールのメールマガジンに先日、熊本のフェアトレードシティの今後について考察したものを掲載した。 せっかくなので、あれから考えたことを追記して、改めてこちらで紹介しよう。

祝!フェアトレードシティ認定

6月4日、熊本で活動する仲間が待ちこがれた日がやってきた。 熊本市が世界で1000番目、アジア初のフェアトレードシティ に認定された。 フェアトレード・シティ推進委員会 の面々は朝早くから準備を開始し、午前中は授与式・パレード、午後はファッションショー・パーティと盛り沢山のイベントを実施した。 全国からも熊本へのお祝いのメッセージをいただいた。 こういう記念すべき日に、熊本市民として出会えたことをほんとうに誇りに思う。 熊本市のフェアトレード運動は、これからの活動が大事になってくる。大きなことを達成した今、今後なにをすればいいのか、しっかりと考えて進んでいかなければ、求心力を失ってしまいかねない。 大きな方向がぶれないよ うに、活動の原点を見つめ直すために、フェアトレードシティにはどういう意味があるのか考えてみよう。

フェアトレードシティを推進するまち

フェアとレードシティ/タウン運動(以下、世界的に使われている、フェアト レードタウンの方を使用するが、フェアトレードシティも含めている)とは、 フェアトレードを推進するまちという意味だが、その認定には一定のハードル がある。日本の場合には、市内での認知度や行政の協力体制に加えて、地域と の連携という6つ目の要件が加わっている。 この6つ目の要件は、フェアトレードという活動が地元を無視して外の問題だ けを見ているのではないという意味で付け加えられた。フェアトレードタウン 運動が、まちづくりを強く意識していることとも整合性がある考え方だ。 フェアトレードタウンになることは、どういうまちをめざすことになるのだろ うか。議論の前に、「まち」を「ある程度人が集まっていて、そこで人が生き て、暮らしている場」ぐらいにしておこう。厳密な定義をしようと思うと、文 章が長くなってしまうので、この程度にしておく。 もちろん、熊本に限らず、どういうまちでも、すでに「人が集まり、暮らす場」 としてのまちはすでに存在している。フェアトレードタウンによるまちづくり は、この既存のまちに「フェア」という考えで人々が行動する仕組みを付け加 えるものだ。 まちづくりというと、ビルを作ったり、区画整理をして道路を造ったりするこ とと考える人が多いが、それは最後の手段だ。既存のまちがどうしようもなく なってしまったときに、いったんゼロに戻して作り直すことを考える。いつの 間にか、まちづくりというと、その最後の手段のことばかり考えられてしまう ようになっているのが残念だ。

好循環の経済

まちにフェアという考えが行き渡らないと、経済の悪循環が広がり、それが人々 の暮らしにも影響を与えてしまう。簡単にいうと、「とにかく安いものを」求 める行動が広がる。最初は輸入品で安いものを求めるだけで、自分の仕事は安 泰かも知れない。しかし、輸入品の種類が多様になるにつれて、自分が仕事で 扱うものも売れなくなってくる。あるいは、利益率が落ちてきて、給料に影響 が出る。そうなると、生活が苦しいからさらに安いものを求める。そして、再 び給料が安くなるという悪循環だ。 ただし、「当座の役に立てばいい」ものもある。それなのに徒らに品質を向上し、価格にそれが反映されてしまうものもある。例えば、傘なんてそうじゃないか。街を行くほとんどの人がビニール傘を持っている。 傘にはファッション性もあると思うのだが、お金持ちそうな人でもビニール傘を持っている人が多い。 通勤時以外に外を歩くことが少なくなったから、傘を使う時間が減ったからなのだと思う。 一方で、日傘の方はまだビニール傘が出ていないこともあるだろうが、1万円近くするものをもっている女性が多いし、一つ一つのファッション性も高い。 ときどき、間に合わせのものではなく、ちゃんとした傘が欲しいなと思うが、1000円以上の傘で手頃なものとなると、なかなか見つからない。 7-8000円ぐらいのラインが一番中途半端なのだろうか。 ビニール傘や1000円ぐらいで売っているものとどう違うのか、あまりよく分からない。 いっそのこと、1万円以上のものにしてしまえばいいのかもしれないが、今の利用頻度を考えると少しぜいたくな気もしてしまう。 そうなると結局、「ビニール傘で十分か」と思ってしまい、ビニール傘を今日も持ち歩く。 メーカーの方が世の中の変化に対応しきれてないのだろうと思うが、こういうのは、「適当な価値と価格」の提供に失敗している例と言ってよい。 家電製品もそうだ。 おそらく、韓国や台湾のメーカーの家電製品と日本の家電製品は信頼度が一桁か二桁違う。 もちろんそれは、価格に反映される。 不良品率を1000分の1から10000分の1や、100000分の1に下げるのは、相当な苦労が必要なはずだ。 (経済学を勉強していれば、限界費用が逓増すると思えばいい) しかしその信頼度は、消費者に求められているのだろうか? 韓国や台湾メーカーの場合、初期不良は多いのだろうが、連絡すれば即交換する体制ができているとすれば、消費者は初期不良にどれだけストレスを感じるだろうか。 最初は不満を持っても、しばらく使っているうちにそのことは忘れてしまう。 そして次の家電製品を買うときには、また安いものを選ぶ。 人はとにかく「安ければいい」と思っているわけではない。 適正な価格かどうかも見ている。 しかし、同じ価値ならば、やっぱり安い方がいいと考えるだろう。 ここで再び安値の悪循環に陥る。 経済にフェアという要素を付け加えると、この悪循環を断ち切ることができる。 フェアという考え方は、相手のことを対等に考えるということである。経済の 場合も、価格だけを見るのではなく、相手の事情を考えて行動するということ だ。相手も暮らさなければならないとなれば、不必要なまでに値切ろうとは思 わないはずだ。売る側もお金がない人から無理にはとろうとせず、ときどきは まけてくれたりするはずだ。こどもの頃、近所のお店でちょっとしたサービス をしてもらった経験は誰しも持っているはずだ。 相手を尊重するという考え方を商品に当てはめると、商品を作る苦労、作るた めの技術、商品を見つけ出す目利きなどに価値を見いだすということだ。そし て、その価値が価格に反映されるならば、相手を尊重しているという姿勢を、 その価格をきちんと支払うという行動で現す。 どういう商品にもそれを作る技術開発・伝統技術の保全という目に見えないコストがかかっている。 それも含めて支払いをしようとするかどうか。 支払わなければ、商品が継続的に市場に提供されるかどうかはわからない。後継者を育てるコストをまかなうことができなければ、生産を続けることはできない。 最初は、フェアトレード商品=輸入品に対して、作り手の事情を無視するような選択をするかもしれな いが、きちんと作られたもののよさ、安心感などを体験すると、別の品目でも そういう商品を買いたくなるはずだ。 そうなったときに、そのまちに、選択肢 がきちんとあるだろうか。国内、あるいは近場でていねいに作られた食品を買 いたい、手づくりの工芸品を身につけたいと考えたときに、それを手軽に購入 できる環境はあるだろうか。 いいもののよさを伝えてくれる店舗は人は存在するだろうか。 そういう選択肢が数多く提供されているというのが、フェアトレードタウンの 特徴だ。

フェアトレードは人のためならず

経済の悪循環で述べたサイクルをちょうど逆にすると、フェアトレードタウン が経済を通して暮らしにもたらす好循環が見えてくる。 相手を尊重する消費スタイルが広がれば、やがては自分の仕事も尊重される。 そうなれば、給料が増えたり、先行きの不安が少し解消する。そして、増えた 給料で、普段買っているもののうち、フェアな取引での購入量を増やす。こう いう流れを作り出せれば理想的だ。 そう、フェアトレードは途上国の人々のためだけにおこなうわけではない。巡 り巡って、自分の暮らしのためでもある。「情けは人のためならず」といわれ るが、「フェアトレードは人のためならず」なのである。 さてそれでは、フェアトレードタウンの動きを広げるために、今すぐできるこ とは何だろうか?フェアトレード商品の取扱店を増やしたり、フェアトレード の認知度を増やすことも大切だ。そういう活動は、地域の活動の裾野を広げる 役割がある。 僕は今は、フェアトレードの考えを経済に深く浸透させる工夫が必要だと思う。 そのために、フェアトレード商品を看板にするお店が、地域の産品を積極的に 取り扱うことが大切だと考える。

Footnotes:

実際、この文章の下書き時には、フェアトレードタウンが対象とするま ちについて、延々と議論をしてみたのだが、あまり有益な定義は得られなかっ た。論文を書いているわけでもないので、そこまでの議論はそもそも必要なさそうだ。なんだかオタク的な議論になってしまってもおもしろくないしね。

Date: 2011-06-12 10:44:51 JST

Author: 坂田 裕輔

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