就活で学生のバイト歴はなぜ評価されないのか

いつもは今時期、三年生のゼミ生にゼミで話すんですが、今年はゼミ生が二人しかいないので、ブログでつぶやいておきます。 学生にエントリーシートを書かせると、大学時代の取り組みで、バイトのことを書く人がとても多いです。 ほかに書くことがないというか、「普通に大学で勉強していた」ことがもっともアピールできる実績であることに気づいていないのでしょうね。 そういうエントリーシートをみて、僕は、「バイトのことはだめ」といいます。 ついでに資格もいらんといいますが、これはまた別の機会に書きます。 バイトでがんばった学生にいいたいのは、君たちを面接する社会人なみのパフォーマンスを君たちはバイトで発揮していたのか?ってことです。 そうじゃなければ、「僕は就職してもその程度しか働けません」といっているようなものです。 具体的にバイトで何をやったのか書けといってみると、みんなそれなりに書いてくれます。 でも、残念ながら、「棚をみて足りないものを補充したり、手が足りていないところに応援に行くなど、自主的に仕事をしました。」なんて答えは、だめです。 そういうのは、人として、当然のことをしているだけです。 それが大学で一番一生懸命やったことだというのなら、もうどうしようもありません。 バイト先の人間関係で中心的な役割をはたしたといった内容なら少しは評価されるのかもしれません。 でも、それ以上に、感じるのは、バイトが一番のアピールだという学生のほとんどは、何を書いてもどっちにしても採用は遠いように感じます。 それは態度です。 バイトというのは基本的に生活のために、仕方なくやるものであり、仕事も誰かの指示のもとでの労働です。 大学は、自らの意思で、自分の未来を切り開くためにいくところです。 それなのに、仕方なくやるものを一番がんばったんだといわれたら、相手はどう思うでしょうか。 そこのところをわかっている学生なら、バイトを一番がんばったなんていわないでしょう。 つまり、バイトをアピールする学生は、よほどの策士か、あまり聞き手のことを考えていない人です。 まずは、「自分は、聞き手のことを研究して、内容もしっかり考えてきました。」ということをアピールしてもらいたいですね。

AT703 デジタイザの精度改善

東芝の手書きタブレットにアップデートがきました。 これまで画面の右端、1.5cmくらいが、挙動不審で、端っこは書けなかった。 それが改善しています。 だいぶ使いやすくなりました。 ちょっと高い買いものですが、タブレットが手書きで使えると相当便利になります。 オフィス用にACアダブタを追加で発注してしまいました。 ちょっとしたメールも、ペンで書いています。 (この記事もそうです。)

むすび9月号、10月号に原稿が掲載されています

マクロビオティックの正食協会が発行している月刊誌のむすびに原稿を掲載していただいています。 当初は3月に実施した講演をまとめたものをというお話でしたが、結局同じようなテーマで一から書きました。講演の方がずいぶんボリュームがあって、まとめると意味が分かりにくくなってしまったので、新に書き直した次第です。 原稿の中に九州の醤油に関する記述というか、グチがあります。 僕はやっぱり甘味料の入った醤油は嫌だなあと思います。が、それ以前に甘い醤油は苦手で、できたら勘弁して欲しいなと言うのが正直なところです。 そんな僕でも、普段、九州というか、熊本でつくられている醤油を使っています。 ヤマア(松合食品)さんのもので、砂糖も入っていません。 原材料もそうとうこだわっていますが、関心がある方は松合さんのサイトでご確認ください。 醤油に限らず、調味料はとても安いものです。 ここでしっかりお金をかけておけば、料理の腕、素材の難をかなりカバーしてくれます。 なのに、調味料代をけちる人が多いのは残念です。 おっと本題。 醤油なんですが、材料にこだわり、製法にこだわっていると主張している醤油にサッカリンなどの人工甘味料が使われてるとほんとに興ざめです。 甘みづけも製法のひとつ。 最後までこだわって欲しいな。

VPSをやめました

ずいぶん長い間、仮想サーバを丸ごと借りるVPSを使っていましたが、10月の更新を機に辞めることにしました。 これからは、共有サーバを使います。 VPSは好きなことができて楽しいのですが、ここ数年は、サーバをいじる時間がないし、細かいことにも興味がなくなってきました。 それよりも開発に時間を割きたくなってきました。 もう一つ、近大経済学部に在籍していたときには、ゼミ生が1学年20人もいたので連絡にメーリングリストを使っていました。 学生は登録アドレスに携帯アドレスを入れるのですが、これが、スパム判定のせいか、全員にちゃんと届くようにするのが一苦労。 mailmanの機能で、発信者をメーリングリストサーバにするようにして、学生の迷惑メールフィルタにサーバからのメールを受け取るように設定すれば、ほとんどのケースでは、メールを受け取ることができるようになります。 でも、そうすると、学生がメールで名乗らない限り、誰が送ったメールか分からなくなってしまいます。 mailmanでは、本体にパッチを当てて、メール本文に自動的に送信者を書くようにしていました。 最近では、VPSが必要だったのは、ほとんどこのためだけと言ってもよくなっていました。 幸いなことに、いまの職場ではゼミ生は6人程度です。 メーリングリストを構築しなくても、gmailのグループ機能を使えば簡単に管理できそうです。

電力会社の規制:発電量のベースを変える

電力会社の分割民営化という議論がある。 これはこれでやればいいとは思うのだけれど、それで電力業界が効率化されるかというと、効果はかなり限定的だと思う。 会社経営している人ならわかると思うけど、経費を増やすことは難しいことではない。 そこそこがんばっているような顔をして、最大限経費を増やす結果になるだけだろう。 一方で支出の適切性をチェックすることはかなり大変なことだ。 むしろ会社が自主的に経費を減らす努力をするならば、監視コストは最低限になるはずだ。 それではそんなしくみは?というと、コストの算定の基礎となる発電量を実績ベースから目標ベースに変えることではないだろうか。 毎年一定割合で減っていく目標を設定し、その量に対する公正報酬率を設定する。 電力会社はそれでも利益が出るように自主的に業務の効率化を進めるはずだ。 これ以上効率化ができない水準になるととられるのは、需要の削減だ。 本来温暖化対策や化石燃料の枯渇の問題を考えると、エネルギー関連産業が需要喚起のための施策を実施すること自体、反社会的な行動で、公益事業の何あるまじき行動なのだと思う。 ここらで、需要削減の旗振り役として、エネルギー関連業界が自主的に動くしくみを導入しよう。

憲法96条の改正

憲法96条を改正する話が少し話題になっているようだ。 96条は改正してもかまわないと思う。 国会議員は過半数の賛成でよいだろう。しかし、憲法改正の国民投票には、3分の2以上の賛成を求めることが前提だ。 96条が国会議員の3分の2の賛成、国民投票が過半数の賛成で、憲法を改正するように定めているのは、二つ意味があると思う。 一つ目は、過半数では少数者の権利が守られないことだ。現代社会の特徴は少数者の意見をきちんと聞くことだ。誰もがいつでも少数者になる可能性があるから、自分が多数の時にでも少数の権利を守ることが大切だ。そのために、過半数よりは多い3分の2の賛成を求めている。さすがに3分の2が賛成するのであれば、世の中でも議論をつくしたと考えられるからだ。これはまあよいだろう。 二つ目は、国民ではなく国会議員に3分の2の要件を課している点だ。憲法は国会こそが国民の意思を反映する存在だと考えている。しかし、小選挙区制の元では、一説によると死票が50%を超えるという。それなのに、国会が国民の意思を反映しているとほんとうに言えるのだろうか。 でも、それはまあ、いい。それよりも、なぜ国会が国民の意思を反映していて、国民投票よりも少数者を守ってくれると考えるのだろうか。 それはおそらく、日本国憲法に憲法改正時以外の国民投票の規定がないこととも関係する。 日本で国民投票の制度が制定されていないのは、国民が国政を判断する能力がないと考えられているからだと、憲法の講義で私は習った。 明治憲法制定時は確かにそうだろう。 第2次大戦直後はどうか分からないけれど、まあ、国が全体主義に染まった直後だから、そう考えてもよいだろう。 では、今はどうなのか? 今はもう少し国民もましになっていると思うから、憲法改正は国民の意思を重視してもよいのではないか。 そういう意味では、国会議員の過半数で改正を発議し、国民の3分の2の賛成で憲法を改正するようにすることは望ましい方向だと思う。 僕はそういう条件の下で、憲法9条は守らなければならないし、実態も憲法の理念に沿ったものに変えていくべきだと思う。 ついでにいうと、国会は一院制で首相公選制には賛成だ。全体でも国会議員は今の4分の1ぐらいで十分だ。

農家は自営かサラリーマンのどちらを望むのか。

新雅史氏の『商店街はなぜ滅びるのか』(光文社新書、2012年)を読んでいると戦後の政策として、日本型福祉社会を目指してきたというくだりがあった。終身雇用と専業主婦モデルをベースとして、社会全体として福祉を考えていくという方向性があった。その中に、次のような指摘がある。「終身雇用と専業主婦モデルに当てはまらない自営業のような家族は、いずれ衰退していく「前近代的家族」とされた。そして、フェミニズムをはじめとした「近代からの解放」を目指す新たな社会理論のなかでは、零細小売業や商店街のような対象は、見向きもされない対象となった。」(p.152) ひるがえって、農業を見ると、これは基本的に自営業者の集まりだ。 農協に依存してきたと言われるけれど、不作の責任、価格暴落の責任は個々の農民に帰する。サラリーマンというのは、事業の失敗が個々人の給料に影響しない人たちだ。 厳しい査定などはあるものの、事業で数億円の損失を会社に与えても、それを支払わされることはない。 農業者にはそれがある。 自営業とは何かと考えるならば、リスクを自ら背負うことと、意思決定の自由だ。 両者はコインの裏表であるが、都市部でのサラリーマン化は、各人が仕事のうえでのリスクを避けようとした当然の帰結であるとも言える。 都市部で自営業者がサラリーマン化してきた傾向があるならば、同じ傾向は農業にも見られるはずだ。 そしてその一端が農協への依存だと思う。 資金調達や、作付け計画などの重要な意思決定の一端を農協の「専門家」が担ってくれることで、農業者は日々の農作業に集中することができる。 同時に、意思決定の重みから自由になれる。 不作の責任は自ら負うとしても、その原因となった意思決定のミスを農協などに帰すことができるから、精神的な重圧は少しは楽になれる。 TPPの影響として言われる農業の大規模化は何も今に始まったことではない。 それ以前から大規模化は農水省が進めてきているし、株式会社の参入も認められている。 この潮流は、農業者の側に、「被雇用者になりたい」という気持ちがある以上、止まらないだろう。 そして、僕自身、全ての農業者が自営業者として、経営の意思決定を行い、事業のリスクを負わなければならないという考え方には強い違和感を感じる。 むしろ、今後は被雇用者としての農民を多く抱える大規模農業と、小規模な独立心の強い農業者が共存していく姿になっていくのではないか。 今後の政策は、経営力のある小規模農業者を支援する政策と、大規模化を目指す事業者に対する規制緩和の二つの方向を進める必要がある。 その中でも、前者をしっかり支援することで、地域社会は強固に維持できるように思う。 そうそう、これらの政策で僕が懸念することは、被雇用者である農民が、地域を維持するための作業等に協力するのだろうかという点だ。 いわゆる道普請や祭りなどがどう維持されていくのか、その動向を注視しながら、必要に応じて政策を微調整していかないと、気づいたら取り返しのつかない事態になる。 少なくとも、現時点では大規模事業者に、雇用する従業員の地域活動への参加を一定時間割り当てるよう義務づける等の方法も重要かもしれない。 ちょっと話がそれた。 農業におけるサラリーマン化の要望は、林業の世界でもすでに起こっている。 昨年調査に訪れた、東京チェンソーズもその一例だろうし、他にも、日雇いから月給払いへの移行という動きは見られる。 都市部の人間が月給をもらい、事業リスクを負わないサラリーマンになっているのに、一次産業の従事者だけはそれを求めてはいけないという理由はどこにもない。 むしろ、その方向は自然な方向だろう。 一次産業の雇用形態が、企業としての組織とその従業員をきちんと作り上げる過程で、コミュニティの保全能力がどう維持されるのかは、また検討しなければならない。 しかし、企業化の流れで考えるならば、意思決定部門が大都市に握られてしまわないように、できるだけ地域内で意思決定ができるように、地元企業を育成するという方向も重要な気がする。

少しずつ福岡な人になってきた

4月1日より、近畿大学産業理工学部経営ビジネス学科に移籍いたしました。 産業理工学部は福岡県飯塚市にありますので、研究室も引越です。 これでついに関西との縁が切れてしまったなあという感慨があります。 といっても、相方について熊本に引越してから3年間は、社会活動にはほとんど参加できず、大学の方も最低限の業務をこなすことで精一杯でした。 この間、やりたいことは山ほどあるのに、動くに動けないという状況が続いてきましたが、新しい職場になり、自宅からもだいぶ近くなりました。 といっても週の半ばは、飯塚に泊まり、週末は家に帰るというあいかわらずの単身赴任生活です。 大阪との違いは、「帰る気になれば2時間ちょいで家に帰れる」ということです。 コストのことももちろんありますが、この時間的な違いは、精神的にかなり余裕があります。 以前は熊本で何かあっても、職場で夜の6時を少しすぎたら、もう新大阪の最終に間に合わないような状況でした。 福岡の場合は(お酒を飲んでない限りは)、何時でも、今から帰ろうと思ってから、二時間と少し後には家に帰られます。 これがいろんな意味で精神的な余裕につながっている気がします。 というわけで、今年は通勤が短くなって浮いた時間を、ソフトウェア開発に向けようと思います。 以前から開発を進めているCalderaNotes、新学期になっていよいよ自分の仕事のために活用する時間が増えてきました。 これを少しずつ改善していって、大学教員が手放せないツールに育てることができたらなあと思います。 環境問題とどう関係するの?と思う人もいるかも知れません。 僕の研究テーマは、環境問題(持続可能な社会づくり)ですが、その世界でコンピュータはやはり欠かせないものです。 じゃあ、どうコンピュータを使えばいいのか? 僕ならこう使う。 そういう提案をすることが、僕のソフトウェア開発の動機です。 CalderaNotesは、ワープロ、表計算、ブラウザ、メールに続く、個人のメモを蓄積することに特化したツールです。 こういうツールがあれば、コンピュータはもっともっと便利なものになる、コンピュータを道具として使える、そう考えています。

食へのこだわりは、ほどほどがよさそう

先日、正食協会で食に関する講演をしてきた。 正食協会は、マクロビオティックを推進・普及する団体で、クッキングスクールなどの運営を行っている。 僕は、2006年だと思うけれど、ここの師範科コースを修了していて、いちおう「マクロビの先生」でもある。 けれど、最近はあまりその知識を活かすこともなく、少しずつ緩んでいってしまっている。 講演の後、岡田校長の指図の元で調理されたお弁当をいただいて、そのことを痛感した。 そう、正食協会で教えているレシピで作るご飯はとてもおいしいのだ。 自然食はまずいとか、物足りないとかいう人もいるけれど、正食協会のスクールに体験入学してでも、ここの食べ物を食べてみて欲しい。 というわけで、新年度は玄米をきちんと炊くところから再開していく予定だ。 これだけしっかりしたグループの、指導者層に対する研修の一環として企画されたのが、僕の講演だった。 普段、食について勉強しているのでついつい視野が狭くなるから、少し広い視点から話をして欲しいと頼まれた。 正直、僕が料理を習った先生もいらっしゃっているかも知れないのに、とても恐れ多くて話なんてできないと思っていたが、当日行ってみると、先生方の顔をすっかり忘れてしまっていて、どなたに習ったか忘れてしまっていた。 まあ、そんなわけで緊張も少し解けたところで、話をはじめて2時間の講演だった。 みなさん、かなり熱心に話を聞いて下さって、終わった後も、話しかけて下さる方が何人かいらっしゃった。 (講演の後、話しかけられるのは、話が心に響いたかな?と思えるので、とてもうれしいことです。) ここで話した内容は、簡単に言えば、「何でもほどほどに」ということだ。 正食というか、マクロビオティックの創始者の桜沢先生は、マクロビオティックを学べば学ぶほど自由になるとおっしゃったという。 僕もそれが正しい姿だと思う。 けれど、つい、僕らは情報を目にすると、それに縛られてしまう。 食べてはいけないとか、あれがいいとかいわれると、ぐらっときてしまう。 外でファーストフードを食べたり、コンビニのお菓子をどか食いして自己嫌悪に陥ったりもしてしまう。 でも、食というのは、いつでも完璧にできるものでもない。 しかも、何を食べるにも、一定のリスクというものは避けることができない。 リスクがまったくないという状態(ゼロリスク)を求めることは、生産者に過大な負担を強いる。 生産者にゼロリスクを求めると、当然ながらコストは跳ね上がる。 70%安全なものを71%安全なものにするコストと、97%安全なものを98%安全なものにするコストは、数十倍、数百倍違う。 そして、それを生産者に求めた結果、「高くて買えな〜い」といって、「それらしい文句」が書かれて、通常のものよりちょっと高い商品を手にする人は多いはずだ。 リスクがゼロなことが大事なのではなく、リスクがある状態をつくり出している生産者を信じられないことが問題だ。 僕の父は食品業界の人間だが、食べるものにはしっかりと責任を持っている。 「お金のため」とか、「形だけそれなりならそれでいい」なんて決して思っていない。 大量生産の中で、少しでも安全で、おいしいもの、そしてそれを安く提供しようと努力している。 そういう、企業の真心を信じることができなくなってしまったのが今の社会だ。 一方で、自然食品の業界で名の通った会社のものは盲目的に信じている。 しかし、その会社がひとたび問題のある商品を販売したらどうなるのか。 おそらく、ゼロリスクを求める消費者は、「やっぱり・・・」といって、その会社から離れていくだろう。 ゼロリスクを求める人の通った後には、何も残らないのだ。 消費者に振り回されて、一生懸命努力したけれど、一つか二つミスをしてしまった企業や生産者のなれの果てが残るだけだ。 僕らはそういう選択ではなく、相手がミスをしても、ルールにない行動をしても、ある程度のことなら許せるし、事後的な説明がなされて納得できることであれば、許せるはずだ。 企業とも生産者とも、そんな少しだけ緩い信頼関係を築き上げることが今は大事なのだ。

卒業して一人暮らしをする人へ

21日は卒業式でした。 僕にとって、近大経済学部最後の卒業式でもありました。 夜は例年通り、ゼミで打ち上げでした。 最近の学生は節度を守って飲むというか、飲み過ぎることが少ないので、一緒に飲んでても気が楽です。 その、飲み会で学生に聞かれたことが一つあります。 「これから、就職して一人暮らしなんですけど、なにかアドバイスってありますか?」 というものがそれです。 就職に際しての心構えなんかは聞き飽きているから、ちょっと変わった質問でもして、先生と会話してあげようということなのかも知れませんが、意外といい質問だと思います。 僕は大学に入ってから、20年ぐらいは一人暮らしをしていますし、就職してからはかなり忙しい中で自炊してたりもしていました。 「できるだけ自炊すること」というのが、僕のアドバイスなのですが、そのために、「ある程度いい鍋をそろえること」というのを強調しておきました。 鍋はできるだけ分厚くて、ふたもぴったり閉まるものを買っておくと、料理がとても楽です。 野菜を適当に重ねて、一番上にお肉でも載せて、塩をぱらりとふってふたをして弱火でしばらくおいておけば、すごくおいしい蒸し煮ができます。 (肉や魚はなくてもオッケー。むしろその方が野菜のおいしさは分かります。) いいなべなら、ご飯も炊けます。 では、まずどの鍋を買うのがいいのか、ということであれば、18センチ程度の深めのフライパンをおすすめします。 これにふたをつけてもらえば、たいていの料理はできます。 1000円ぐらいでフライパン買えますけど、ここは少しがんばって、安くても3000円オーバーぐらいのものを買って欲しいところです。 煮込み系の麺類(インスタントラーメンとかね)も一人分ならちょうどいいし、炒め物にもちょうどいいです。 ついでに、鍋物だってちょうど食べきれる大きさです。 いい鍋を買っておけば、料理が楽になるし、できたものもそれなりに美味しくなります。 そうすれば、「今日はめんどくさいなあ」というときに、「とりあえず帰ってちゃちゃっとなにか作るか」という気になります。 ここで「コンビニで何か買おうかな・・・」とかになるのが続くと、だんだん飽きてきて、食生活が楽しくなくなります。 家でのご飯が楽しみではなくなると、家に寄りつかなくなり、生活が乱れるとともにお金もなくなっていく、とそんな図式が頭に浮かびます。 もともと外で遊ぶのが好きならそれでもいいんですけど、家が嫌で・・・というのは、非常に不幸な話です。 家のご飯がおいしくないというの、仕事が忙しくなればなるほど、だんだんストレスになっていきますので、早めに対策をしておきましょう。 もちろん、料理の技術も大事ですが、それはまた別の機会にかければいいですね。 たいした話じゃありませんが、これから一人暮らしをする人に、少しでも参考になればなあと思います。