工場産野菜の持つ意味

WBSでみた話しだが、岩手の方で、赤系のLEDを使って育てた野菜というのが作られているらしい。 工業製品のようなものなので、年間、気候の変化に関わらず一定の値段で野菜が手に入る。 葉ものやハーブが中心というが、今後ラインアップは増えるはずだ。 野菜というものは太陽の光をたっぷりと浴びて、土のエネルギーを吸収して育つもの、というのは古い考えなのだろうか。 そもそも、天候に左右されて何が悪いんだろう。 おいしい年もあればおいしくない年もある。豊作もあれば失敗もあるだろう。 そしてそれが思い出の一部になっていく。 「あの米が不作でタイ米が流通した年・・・」 「キャベツが高くてお好み焼きが白菜で作られていた年・・・」 工場で作るのに、わざわざレタスはレタスの形をしている必要はない。 彼らが売りたいと思っているのは、「野菜」ではなく、「カロリーと栄養分」だ。 カロリーに思い出なんてない。 せいぜい大食いしたときの思い出ぐらい。 今は消費者サイドの意識の問題もあるので、すぐにはそうはいかないが、野菜工場でサプリメントのような、栄養たっぷりの錠剤が作られる日は近いと思う。 そうなると、今よりますます野菜が売れなくなり、値段も上がる。 もちろんそれでさらに野菜が売れなくなり、野菜農家の経営が立ち行かなくなる。 そんな未来につながっているとすれば、工場産の野菜、あまり歓迎できたものではない。