食へのこだわりは、ほどほどがよさそう

先日、正食協会で食に関する講演をしてきた。 正食協会は、マクロビオティックを推進・普及する団体で、クッキングスクールなどの運営を行っている。 僕は、2006年だと思うけれど、ここの師範科コースを修了していて、いちおう「マクロビの先生」でもある。 けれど、最近はあまりその知識を活かすこともなく、少しずつ緩んでいってしまっている。 講演の後、岡田校長の指図の元で調理されたお弁当をいただいて、そのことを痛感した。 そう、正食協会で教えているレシピで作るご飯はとてもおいしいのだ。 自然食はまずいとか、物足りないとかいう人もいるけれど、正食協会のスクールに体験入学してでも、ここの食べ物を食べてみて欲しい。 というわけで、新年度は玄米をきちんと炊くところから再開していく予定だ。 これだけしっかりしたグループの、指導者層に対する研修の一環として企画されたのが、僕の講演だった。 普段、食について勉強しているのでついつい視野が狭くなるから、少し広い視点から話をして欲しいと頼まれた。 正直、僕が料理を習った先生もいらっしゃっているかも知れないのに、とても恐れ多くて話なんてできないと思っていたが、当日行ってみると、先生方の顔をすっかり忘れてしまっていて、どなたに習ったか忘れてしまっていた。 まあ、そんなわけで緊張も少し解けたところで、話をはじめて2時間の講演だった。 みなさん、かなり熱心に話を聞いて下さって、終わった後も、話しかけて下さる方が何人かいらっしゃった。 (講演の後、話しかけられるのは、話が心に響いたかな?と思えるので、とてもうれしいことです。) ここで話した内容は、簡単に言えば、「何でもほどほどに」ということだ。 正食というか、マクロビオティックの創始者の桜沢先生は、マクロビオティックを学べば学ぶほど自由になるとおっしゃったという。 僕もそれが正しい姿だと思う。 けれど、つい、僕らは情報を目にすると、それに縛られてしまう。 食べてはいけないとか、あれがいいとかいわれると、ぐらっときてしまう。 外でファーストフードを食べたり、コンビニのお菓子をどか食いして自己嫌悪に陥ったりもしてしまう。 でも、食というのは、いつでも完璧にできるものでもない。 しかも、何を食べるにも、一定のリスクというものは避けることができない。 リスクがまったくないという状態(ゼロリスク)を求めることは、生産者に過大な負担を強いる。 生産者にゼロリスクを求めると、当然ながらコストは跳ね上がる。 70%安全なものを71%安全なものにするコストと、97%安全なものを98%安全なものにするコストは、数十倍、数百倍違う。 そして、それを生産者に求めた結果、「高くて買えな〜い」といって、「それらしい文句」が書かれて、通常のものよりちょっと高い商品を手にする人は多いはずだ。 リスクがゼロなことが大事なのではなく、リスクがある状態をつくり出している生産者を信じられないことが問題だ。 僕の父は食品業界の人間だが、食べるものにはしっかりと責任を持っている。 「お金のため」とか、「形だけそれなりならそれでいい」なんて決して思っていない。 大量生産の中で、少しでも安全で、おいしいもの、そしてそれを安く提供しようと努力している。 そういう、企業の真心を信じることができなくなってしまったのが今の社会だ。 一方で、自然食品の業界で名の通った会社のものは盲目的に信じている。 しかし、その会社がひとたび問題のある商品を販売したらどうなるのか。 おそらく、ゼロリスクを求める消費者は、「やっぱり・・・」といって、その会社から離れていくだろう。 ゼロリスクを求める人の通った後には、何も残らないのだ。 消費者に振り回されて、一生懸命努力したけれど、一つか二つミスをしてしまった企業や生産者のなれの果てが残るだけだ。 僕らはそういう選択ではなく、相手がミスをしても、ルールにない行動をしても、ある程度のことなら許せるし、事後的な説明がなされて納得できることであれば、許せるはずだ。 企業とも生産者とも、そんな少しだけ緩い信頼関係を築き上げることが今は大事なのだ。