ごみの環境経済学最終稿

ただ今、最終稿の校正中です。 といっても、大まかには編集者さんがやってくださっているので、僕は最終チェックと索引づくりです。 最終チェックというのはつまりは後でもぐだぐだ文句を言わないように、ミスの責任は自分でとりなさいよ、と言われているのだと解釈しています。 原稿自体を完成させてからしばらく経つと言うこともあり、もはや後悔にさいなまされつつ次回作の構想(次はこんなにすごい企画でやるぞ!という妄想)を練っています。 実際、一回本を書いてみると、本を書くことの大変さが身に染みると同時に、普段からどういう準備をしていると良いのかもある程度分かった気がします。 本が売れても、こういう学術系の本の売れ行きというのは1年で1000部売れればかなり成績がよい方なので、印税収入というのはほとんどありません。 (1冊2000円で印税10%かける1000部=20万円なので、かけた努力と比較するとマクドでバイトした方がましかもしれません) それでもやはり本が売れると言うことは自分の話をそれだけの人が聞いてくれると言うことなんだと思うととてもうれしいことです。 僕に言ってくだされば送料ぐらいはサービスしますので、買いたい人はぜひ、家族の分、ご先祖様の分、まだ生まれてこない孫・子の分までまとめてご注文ください。 ちなみに何でご先祖様とか孫・子の分まで買うのかというと、環境経済学というのは結局世代間をつなぐ学問だからです。 僕たちが今享受している世界というものは、素のままの地球環境・生態系と人間がコラボレーションで作り上げてきたものです。このような世界を次の世代に渡してあげたい。 我々が受け継いだものの価値を認識するための手法と後世代に受け渡す方法や社会を提案するのが環境経済学の仕事です。 今回僕が自分の本にすでに不満が出ているのはこの辺りがやはりまだ不十分にしか書けていないからです。 最近、古典と呼ばれる本を読み始めました。 意外なおもしろさ、深さにはまっています。 さすがに何百年、下手すると2000年以上生き残ってきた本は違います。 何故もっと早く読んでおかなかったんだろう、と少し後悔しながら読んでいます。 僕たちが考えていることがすでに何百年も前から考えられていて、様々な実践も成されて居るんだと言うことを知ると、今まで歴史嫌いを標榜していた自分がちょっとかわいそうになります。 「こんなにおもしろい本がたくさんあるのに、食わずぎらいだったなんて。。。」 環境経済学のテーマに正面から取り組むにはまだまだ僕の知識や経験は不十分です。 読みたい本がたくさんありますし、見に行きたい取組もたくさんあります。 同世代の研究者やNPOでがんばっている人たちと比べると自分の知識や取組が情けなくなることも多々あります。 だけど、この本を書かなければ自分が取り組んでいるものに対する自分の位置づけを客観視できなかったのも事実です。 同時にどれだけ勉強したとしても、ゴールにはたどり着けないのだと思います。 より良い環境経済学の構築というのは、僕自身のライフワークになりますので、次に書く本は今回よりも良いものになるでしょう。 何というか、今僕に書ける最大限のものがその最新の本には込められているということになります。 そして、最後には僕自身の到達点を次の世代に受け継ぐことも重要です。 ちょっと、お酒と自分に酔っている感じですが、本の前書きになりそうな部分をここに書いておきました。 本には恥ずかしくて書けなかったので。。。あちらの前書きはもっと堅苦しいものになっています。