ごみ屋の夢の地、上勝町にいってきました

ごみ問題を研究している人間にとっての、夢の土地、上勝町についに視察に行くことができました。 今回はコーディネートしてくれた友人のおかげもあって、相当有意義な視察となりました。 上勝町は、徳島県勝浦郡の人口2000人ぐらいの小さな町です。町の人口規模の目安がだいたい5000人以上なので、急速な人口減を経験している地域です。 もともとは平家の落ち武者伝説もあるようですが、町の歴史は定かではないと出会った方が話していました。 ただ、落ち武者なのかどうかは別ですが、非常に文化度の高い地域であることは事実です。 その代表が、この地に伝わる「上勝晩茶」です。 この晩茶は、1番茶、2番茶を摘んだ後の番外茶という意味の「番茶」ではなく、収穫時期が遅いと言う意味で「晩茶」とされています。 日本のお茶というのは、摘んだお茶を蒸したり煎ったりして、もんで乾燥させるという行程で作られますが、上勝番茶は、醗酵させる点が特徴的です。 (同じような製法のお茶に中国のプーアール茶があります。紅茶やウーロン茶も醗酵させていますがこれはまた別のグループになるようです。) 非常に独特の香りと味をもっており、好き嫌いがけっこう出てきます。 また、醗酵時間などで味が左右されるので作っている人によっても味が変わってきます。 癖のないものは、ほんとうに葉っぱから入れるウーロン茶と同じようなグループの味です。 先に文化度が高いと書いたのは、上勝晩茶が一部の特権階級のためのものではなく、庶民の飲み物であったことです。 京都で茶の味を覚えた平家の将兵が上勝に来てもお茶を飲み続けた、なんて書くとちょっと歴史ロマン風ですね。 実際に日本で茶の栽培がはじまったのは栄西の帰国以後(1191年)のようですから、時代は少しずれますね。 でもまあ、平家以後かもしれないですが、なんらかの位の高い人が伝えた文化の名残のような気がします。